きっかけ

夫 Side

定年後も車はずっと私の相棒だった。
しかし最近、運転に不安を感じることが増えた。
車がなくなるのは不便だが、妻に
「免許を返納したらどうする?」と聞くと
「それならバスを使えばいいじゃない」と即答された。
バスなんて、若い頃に仕事で乗ったきりだ。

少し抵抗はあったが
「運賃無料デーに乗ってみましょうよ」
と強引に誘われた。

当日、最寄りのバス停へ向かう。
バスが到着し、妻に続いて乗り込んだ。
促されて窓際の席へ座る。
車内は思ったより綺麗で快適だった。
窓の外を眺めるていると
運転している時には気づかなかった町の変化や
行き交う人々の様子が目に入ってきた。

目的地に着き、目当ての喫茶店に入る。
ブルーマウンテンを二つ注文し
しばらくのあいだ
昔話に花を咲かせた。

帰り道。
バス停へ向かう足取りは
随分軽くなっていた。

裏面へ

妻 Side

「免許を返納したらどうする?」
夫が聞いてきた時、私は待ってましたとばかりに
「バスがあるじゃない」と答えた。

最近、夫の運転に不安を感じていた。
事故のニュースを見ては
もしも…という想像が頭をよぎる。
でも、いきなり返納を勧めても
反発されると思っていたので
話をするタイミングを待っていたのだ。

先日友達から運賃無料デーのことを聞いたとき
「これだ」と思った。
試しに乗ってもらう良い口実になる。
これをきっかけにバスを気に入ってくれたら…
と期待を込めてバスに乗り込んだ。

夫とのバスでのお出かけは、思いのほか楽しかった。

帰りのバスの中
「またバスで出かけようか」と夫が言った瞬間
私は心の中で「よし!」と叫んだ。
そしてちょっとおどけて
「これからはデートもバスね」と言うと
夫は照れくさそうにしていた。

もうしばらくは車にも乗るだろうけど
こうやって少しずつ
変わっていけたらと思う。

表面へ

喫茶店の珈琲
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